読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

生の鶏卵が書く日記

ブログタイトルは仮です

働くからこそ金がかかる

と、ほとほと思うのだった。
働いているとストレスで「これくらい買ってもいいだろう、買わないとやってられない」という気持ちになり、退社後に店に駆け込んでしまう。
実際ニートだった時代はそんなにお金がかからなかった。買い物しなくても生きてゆけた。そこで息してクソしてる時点で金がかかってるんだよ!!!とは思うのだが、必要経費が少なくてすむ。
だから働いていないほうが節約になると思うんですよね。
ニート時代が懐かしい。ずっと休んでると飽きてくるとか言う人がいるじゃないですか。飽きるわけないよね。毎日楽しいしずっと遊んでいられるよね。最高。
宝くじ当たらないかな。小さな望みをかけて毎月スクラッチを3枚買うのだが、600円をどぶに捨てているだけだ。だいいちスクラッチで当たる金額ではニートになれないですね。

2デイズ

オタ界隈のライブイベントの話です。

だいたい毎年行われているライブイベントで、その年は2デイズだった。
土日開催だったので、地方民としては日曜日に帰られないときつい。ので、土曜のみの参加にした。
主催者は面白い演出を考えているというような話をしていた気がする。確か。
1階スタンディング、2階指定席で、前年に体調悪いときにスタンディングで見て途中で開場を出た思い出があったので、その年は2階を選んだ。席がないときつい。
思えば前年はぼろぼろの状態だった。忙しい時期とばっちり重なり、ゲームはクリアできておらずED曲を聴いていない、頼みの綱であったその週発売のサントラCDはライブまでに届かない。おまけに連日忙しいせいで体調も優れない。結果ライブ中に限界が来て、途中で出るはめになったんだけど。まあ持ち直して途中でフロアに戻ったが。
そんなだったので、この年のライブは楽しみにしていた。ちゃんと指定席を選んで自衛もした。
知らなかったのだが、2階席は立ち上がって見る席ではなかった。座って見なければいけない席で、盛り上がる客席が、どこか他人事だったのを覚えている。
そうやって観察する程度には、ライブの間、私は冷静だった。立ち上がれない席だったからではない。
ライブの内容が、演出面を含め、去年の再演だったからだ。確かに私は去年のライブは途中退場せざるを得なかった。だからといって、またちゃんとした形で見られてラッキー、とは思えない。
去年も見たものをまた見ている。不思議だった。まったく同じものをやるために2デイズにしたのか、と。
ライブの終わりは、そのキャラたちが「また明日」と言っていた。
私に明日はない。
例えば普通の音楽ライブで2デイズの場合でも、また明日と言われることはあるだろう。でも私は、どこかすっきりしない気持ちでその言葉を聞いた。
ホテルに戻り、悶々としていた。あとからあとから、不思議な悔しさがこみ上げてきた。ずっと楽しみにしていたのに、私が見たものは、明日に繋がるためだけの再演だった。去年も見たものをまた見ただけだ。
次の日を観ない人のことは、正直どうでもいいんだろうな、と思った。
次の日は、がらりと変えたステージだっと聞く。前日と、いや、去年と対になるステージを作り出したかったらしい。
意図は理解する。しかし、最初にそのアナウンスをするべきだったと、私は思う。1日目のみの参加では、去年とまったく同じものを見せられただけだ。意図が伝わらなかった。
去年と同じだから悪いというのではない。舞台、もしくは映画でもいい。同じものを何度も見る気持ちは分かる。ライブだってそうだ。ライブ映像をブルーレイなどで何度も見るだろう。それは、同じものだと理解したうえで見ているのだ。
ライブだって、それが同じものだと納得して見るなら大いにアリだと思う。

結局、翌年からは、そのライブイベントに行くことはなくなった。
そのジャンルからも、少し足が遠のいた。それまでほど、夢中になれなくなってしまった。
そして今でもあの日の2デイズ初日を引きずっている。2デイズと聞くと、真っ先にそれを思いだす。

好きなものを好きと

まあBL小説を読むのがライフワークになって7,8年たちますね。
あんま作家にもこだわらずにいろいろ読むので、今だとアンリミテッドを使ったりして、常に何かしらを読んでいる。

こだわりはないから何でも楽しんできつつ、その中でも自分が好きだと思う作品の特徴が、ここにきてやっと分かってきた気がする。
なんて言うか、分かりやすい話が好きなんだよね。キャラクターとか物語そのものとか、分かりやすいほうが読んでて楽しい。
感情の流れが分かりにくいキャラや、物語として分かりにくいものでも、きちんと読み込めば分かるんだろうなあと思いつつも、あまりに分かりにくいと読むのが大変。
何でって、だいたい全部がっつり読み込むタイプじゃないからかなー。1回読んで分かるのが好きだ。
まあ読解力の問題だよなあと思いつつも、自分にとってBL小説ってあくまでエンタメ、娯楽なんだよね。言葉は悪いけど、あんま脳みそ使わなくていい娯楽。自分の場合は漫画より小説のほうが脳みそ使わないんで。漫画って行間を読む力、表情から読み取る力を求められない? あれが難しくて、なかなか読まない。
そういう気持ちで読んでるから、分かりにくいものより分かりやすいもののほうが好きなんだよねー。
自分が理解できる範囲じゃつまらんよねって思いもあって、それで、自分にない部分を持ったキャラクターでも、自分が分かるような表現で描写されているのは、すげえよなあと、ただひたすら感心する。
あとは内容もそう。自分が未知の分野について、説明描写が多いとやっぱ内容がなかなか頭に入ってこない。
しかしそれを楽しく読ませる作品って力量を感じて好きだ。
分かる話ってのは、つまり分かるように描写してあるってことだと思ってる。
何度も読むことで味が分かる話なんだろうなと思う話もある。でも、自分としては娯楽だから、やっぱ1回で分かるものに高い評価を付けがち。あと、何度も読むにしても、やはりどこか面白い、気になると思う引っかかりがないと何度も読まんよね。
まあ全部、自分の脳みそレベルが低いって話になるわけだがな。

人の感想はほぼ仕入れん。自分が面白ければいい。
でも、アンリミテッドなんかを使うと、どうしても目に入ってくるし、☆評価も目に入る。
そうすると、自分の評価と真逆なことが多くて、あれ? となることが多い。
なんでこれこんな評価低いの? 面白かったじゃん? と思うものもあれば、逆もまた然り。
いっそのこと、評価を非表示にできないもんか。自分が面白いと思ったものに低い評価を付けられていると結構かなしい。

地雷とか、それに付随する話

たとえば自分がすごく好きな作品があって、それを地雷レベルで嫌いだという人がいるのは理解する。
で、その嫌いだと言っている人がすごく好きだという作品が、私も地雷レベルで苦手だというね。
ということで、面白いと聞いて何度か見てみたり読んでみたりしてもことごとく合わなかったので、つまりそういうことなんだろうなあと。
私は勝手にそういう人のことを逆ソムリエと呼んでいる。
いろいろ学んだので、自分の好きなすきなものを嫌いな人が好きなものには手を出さなくてもいいかなあという気持ち。

感じ方や考え方は人それぞれで、どんなものに対して好意を示すかってのも人それぞれなんだよな~。
とりあえず自分は自分の好きなものを好きだと言うだけです。

とりとめもなくいくつか。

まあ忘れてたっていうか、忘れてなかったっていうか、覚えてても全部後回しにしていたっていうか。
なんかまったりと忙しい。じんわり忙しい。
3月4月が忙しいのは毎年のことだからしょうがないけどやっぱコンチクショーと思いますね。
こうも忙しいと、「ハア~~ユーチューバーになりたい……」とか言いたくなりますが、ユーチューバーって何やんの? ユーチューバーが何かしてるユーチューブを見たことがないからよく分からん。

もう春アニメ始まってんの? 進撃は見た。アクションシーンの作画が良いのでそれだけで見応えがある。靖子さんという神の脚本だし。神は次いつ戦隊やライダーに来るん? ババアはずっと待ってるよ。

ぼっちだから基本的にソロ活動なんだけど、最近、ぼっちの時に周りの会話が耳に入ってヤーな気分になることが多い。電車とかメシ屋とかで。昔は気になんなかったのになあ。年取ったのか。iPod持ち歩くかな。移動中に本読んでても、耳からの情報で気が散って読めなかったり。集中すればそれなりに無視できるけど、集中に入るまでがムズい。

あ、とりあえず最近の目標は積み本を減らすことと、シリーズ物を片付けること。続き出た作品とか、前のを覚えてないから、まずは前のを読み返す必要があるんだが、冊数が2冊とかでも怯んでる。そういうのが何作もあるから困る。勇気を出して読み返したい。さらにはシリーズ物を何冊かだけ買って、それを積んでたりね。続きを買う勇気はまだない。

まあそれでも本屋に行くんですけどね、って話

本屋に行くといいリフレッシュになる。ちゃんと品揃えがいい本屋ね。いろんな本を見て回って、ポップを眺めて普段は買わない作家の本を買ってみたりするのが楽しい。
そういう楽しみがないからネット通販で本はあまり買わん。適当に表紙眺めて選びたいんだもん。
旅先でもよく本屋に行く。知らん土地で本を買うのは楽しい。帰りの新幹線とかの中で読む本を物色してるわけです。まあ、鞄に家から持ってきた本が入ってるんですけど。
なので本屋でくれるブックカバーやしおりが、遠い場所のものが結構ある。まあ使い回してぼろくなったら捨てるから手元に残しておくわけじゃないけれど。
旅のお土産もいつもしおりを買う。でも土産物屋にあるしおりって、柄が違うだけでたいてい同じかたちなんですよね。竹?かなんかのうすっぺらいアレにぴろぴろっとした2色のヒモがついてるアレに土地に関係する絵が描いてあるアレ。詳しくは土産物屋にでも行って確認してください。きっとあるから。
同じ大きさのものはさすがに何個もいらねーよってなるから、それだとわりと買わない。珍しいのがあると買う。

で、まあしおりの話をしたいわけではない。
最近、本屋に行っても本を選べないことが多くなって。
買いたい気持ちがあるのに買いたい本がないってのはすごく落ち込む。不完全燃焼っていうか、欲求不満っていうか。
普段自分はどうやって本を選んでいたか分からなくなる。そうなるとどつぼにはまってしまって、ますます分からなくなって頭が混乱してくる。
というのがずっと続いていて、ちょっと困っていて本屋に行くのがちょっと怖い。まあ好きな作家の作品をどさっと買ったりはしてるんだけど、それは積む前提なんで。あとでゆっくり時間があるときに、自分の積み本から選ぶのもまた楽しいので。
図書館にも行っていろいろ借りてる。すぐに選べる。
でも、今すぐ読みたい本を1冊選ぶのができない。
あ、文庫Xは面白かったです。そんな感じ?話題になってるのはさくっと読んだりするし、あとは昔読んだ本で手元にないのを改めて買ったりとかはしている。でも、しばらく冒険ができていない。冒険ってどうやるんだっけ?
自分は冒険家にはなれないだろう。
一昨年くらいは月1冊は買うようにしていた。しかも新刊、またはそれに準ずるものって縛りの中で。それで普通に買ってたんですよ。でもいま本屋に行くと駄目だなー。あとで読む本なら買えるんだけど。いや、ぐだぐだ言いながら買ってんじゃねーか、何が違うんだよって自分でも思うけど。

昔みたいなテンションで昔みたいに生活できるわけじゃないんだよな。ちゃんと年を考えてその年齢にあった楽しみや生き方を見つけろってことかな。

こういうのもある意味潔癖と言えるのかもしれない

作者と作品は切り離して考えたい自分としては、昨今のSNS等々は結構辛いものがあったりする。
作品はすごく好きでも、作者の発言を聞いてがっかりすることってありますね。SNSとかブログとか。
でも情報は知りたい。
ということで、余計なことを言わずにほぼ自作の宣伝くらいしかしない人は安心できる。
どちらにせよ、直接会ったことがないから実際の性格なんて分からない。
それでも発言で確実に損をしている人はいる。
作品が好きでも作者がそうだと、どうにも心が離れ気味になる。寂しいなーと思いつつも、作品の裏に作者のそういう面が見えてきちゃうともう駄目。
だから作品を嫌いになりたくないから作者個人の情報は入れないようにしているけれど、入ってきてダメージを受けることもしばしば。
聖人じゃないんだからしょうがないんだけどね。まあ軽く受け止められない自分も良くないって自覚はある。
それを言ったら太宰や啄木はどうなんだ、って話にもなりますし。

ネットが発達していない時代って良かったなと言いたくなるけれど、漫画の後書きとか、結構アレだった人がいたことなんかを思い出すとそうでもないかな。
雑誌で広告が入ってる柱の部分、今も作者の近況を伝えるコーナーになってるんですか? あのコーナーで痛々しい人っていましたね。最近あんま漫画を読んでないから分からん。
ただ、リアルタイムで簡単に作者個人が発信できるのは、良くもあり悪くもあるなと感じる。

たとえば音楽だと、雑誌のコラムでしかアーティストの書いた文章を読む機会がなかったのに、今じゃブログだSNSだって状態で。
情報が手に入りやすいのはホント便利だなって思うんですがね。
昔はTVの出演情報も雑誌から仕入れていた有様で。しかも全部が載っているわけじゃないから、必死に夜中の音楽番組をカンで3倍速で録画して、出てたらラッキー、みたいな生活をしていたのを考えると、なんて便利な世の中だと震える。
漫画の発売日も雑誌をこまめにチェックして、さらには本屋に貼ってある発売スケジュールをくまなくチェック、だったし。
そう考えると、今同じことをしろって言われても絶対できない。そんな情熱はない。若いからできただけだ。

難しいなーと思うよ。すごく便利な反面、前はなかった面倒くささがある。
そこらへんきちんと踏まえてるんだなって思う方々もいっぱいいて、そういう人たちはなんというかプロだなと思いますよ。