生の鶏卵が書く日記

夢はおいしい卵かけご飯になることです

疲弊している

何かと疲弊することが多い。
仕事では些細なことでイライラする。誰であれ、相手と関わりのある人には、その相手を悪くを言わないようにしているので、余計に鬱憤がたまる。元々性格が良い方ではないので、言わないとどっかで無理が出る。でも言わないけど。
ある趣味についても、もはや趣味とは言えない、ただの意地になりつつある。楽しくない時点で趣味ではないね。辞め時を探りたいけど、意地でもう少しは続ける予定。
好きだったはずの作家をいよいよ嫌いになってしまってちょっと悲しい。前から、読んではあれ?と思いつつ、たまたまだと思いこもうとしていた。
たまに旅に出れば、まあ色々気持ちがリセットできるので、そろそろ旅の季節だ。定期的に旅に出ないと爆発しそうになる。ボーンと。ちょうど予定入れといて良かった。

少数派

別に今どき生涯独身でも珍しくもない。
自分もいい年だし、親も諦めているものかと思っていた。
しかし話しの流れでついさらりと「結婚しなくてもいいかなと思っている」と言ったところ、非常に動揺され、非常に悲しまれ、悩まれてしまった。

この調子だと、性的少数派であることを伝えることは無理だなと。
どうせそうじゃなくても縁がなくて独身の人だっているわけで、しないかもって言葉だけで、ことさら悲しむことなのか、自分にはよく分からない。
だいぶマイルドに言ったつもりだったんだが。気持ちとしては、結婚しない。話は以上。なんだけど。
親はわりと放任主義で何しててもあんまり何も言わない人なので、カミングアウトしても、受け止めてもらえるものだと思っていた。
だからそのうち、自然な流れでいつかカミングアウトできたらいいなと思ってたんだよ。
親との関係が良好なだけに、ああ、これは一生言わんで墓場まで持ってったほうがいいんだなと。
でもやっぱ苦しいです。私の意思はどこにある。
誰にもカミングアウトしていないし、ネット上では言うけど、別に主張し続けたいわけじゃないからたまにしか言わんし。
自分の給料で一生を生きていくのは厳しいことくらい分かっていて、打算のために婚活をしたこともあったが、やっぱり生理的に駄目ですぐにやめた。
始める前は、金と世間体のために自分を偽れると思ってたんだ。
でも無理だって分かって、何とか今の会社で定年まで頑張ろうかなという気持ちに、今はなってたんだけどな。
やっぱ婚活なんかしたから期待させちまったのか。でも婚活のおかげで自分のセクシャリティをはっきり自覚して腹くくったので、まあそういう意味で、意味はあった行動だと思いたいが。

ところで現在はセクシャルマイノリティではなくてLGBTって言いかたが主流ですね。何かカジュアルな感じがするからか。
でも私個人としてはわりと苦手です。なぜなら自分はそこに含まれていないから。そんなところまでも少数派でいなきゃあかんのか。
でも分かりやすい記号ってことで自分も使うし、少数派という言葉のイメージがよろしくないってところだと思うので否定はしないし、この言葉を使って理解が進むのならいいことだと思いますが。
LやGやBやTの方々を表すにはいいんでしょうが、そこにも含まれていない少数派はどうすればいいんですかねえ。それで何かもやもやするのだった。
虹色という表現が好きで、グラデーションになっててはっきり分けられるもんじゃないと思っているので。

息苦しさ

結局なんでブログ書いてるって、SNSが息苦しいからだ。古くから相互フォローしてる人たちばかりで、鍵アカウントとはいえ、変に気をつかう。書きたいことが全然書けない。
好き勝手書く場所が欲しかった。
SNSは、匿名だけど、匿名じゃない。まったく知らない人たちの集まりじゃない。どういう考えをもっていて、どういうことが好きなのかだけは知っている。変なこと書いて嫌われたくないってのが先に来て、当たり障りのないことで濁す。
きっぱりやめればいいのかもしれないけれど、それも味気なくて、しがみついている。結局は毒舌な批評家気質の嫌なやつなのが自分で、それを取り繕うとするから疲れる。

アンチ

わりと好きだったけど、だんだん好きじゃなくなって、そこから普通に戻れたらいいんだけど、どうしてかアンチになってしまう。
期待を裏切られたって気持ちになるからかな。
でもやっぱり好きだったころの思い出があるから情報を追っちゃって、ますますアンチ化してしまう、と。
前から下手だったけど、手癖がひどくなって余計に下手になってない?とか、知識のひけらかしが鼻につく、とか。
なにも好き好んでアンチになりたいわけじゃないんだ。
ただ興味ないって状態に戻りたいね。
最近はどこでも、嫌いなものの話ができなくて窮屈。
確かに自分が好きなものを悪く言われるとむっとするから自分でも書かないけど、なんかみんなお行儀いいね。

そんな自分はモテないアピールがすごい

ネットの海で昔の知り合いを見つけることってありますね。オタク界隈にずっといるとそういう場合が多いんじゃないでしょうか。オタクってついったーやってるし(偏見)
で、昔の知り合いを見つけたのだが「オタクだけどモテる自分アピール」がすごくてびっくりした。
昔はそんな人には思えなかったけど、実はそういう人だったのか、それとも付き合いのなくなった数年の間に変化したのか。
接客業で客から口説かれたとか、ミニスカ履いてるとか、そういうアピールがすごい。
なんか結構読んでて引いてしまったので、身近にいたらもっと引いてたと思うので付き合いがなくなって正解だったかなー、と。

働くからこそ金がかかる

と、ほとほと思うのだった。
働いているとストレスで「これくらい買ってもいいだろう、買わないとやってられない」という気持ちになり、退社後に店に駆け込んでしまう。
実際ニートだった時代はそんなにお金がかからなかった。買い物しなくても生きてゆけた。そこで息してクソしてる時点で金がかかってるんだよ!!!とは思うのだが、必要経費が少なくてすむ。
だから働いていないほうが節約になると思うんですよね。
ニート時代が懐かしい。ずっと休んでると飽きてくるとか言う人がいるじゃないですか。飽きるわけないよね。毎日楽しいしずっと遊んでいられるよね。最高。
宝くじ当たらないかな。小さな望みをかけて毎月スクラッチを3枚買うのだが、600円をどぶに捨てているだけだ。だいいちスクラッチで当たる金額ではニートになれないですね。

2デイズ

オタ界隈のライブイベントの話です。

だいたい毎年行われているライブイベントで、その年は2デイズだった。
土日開催だったので、地方民としては日曜日に帰られないときつい。ので、土曜のみの参加にした。
主催者は面白い演出を考えているというような話をしていた気がする。確か。
1階スタンディング、2階指定席で、前年に体調悪いときにスタンディングで見て途中で開場を出た思い出があったので、その年は2階を選んだ。席がないときつい。
思えば前年はぼろぼろの状態だった。忙しい時期とばっちり重なり、ゲームはクリアできておらずED曲を聴いていない、頼みの綱であったその週発売のサントラCDはライブまでに届かない。おまけに連日忙しいせいで体調も優れない。結果ライブ中に限界が来て、途中で出るはめになったんだけど。まあ持ち直して途中でフロアに戻ったが。
そんなだったので、この年のライブは楽しみにしていた。ちゃんと指定席を選んで自衛もした。
知らなかったのだが、2階席は立ち上がって見る席ではなかった。座って見なければいけない席で、盛り上がる客席が、どこか他人事だったのを覚えている。
そうやって観察する程度には、ライブの間、私は冷静だった。立ち上がれない席だったからではない。
ライブの内容が、演出面を含め、去年の再演だったからだ。確かに私は去年のライブは途中退場せざるを得なかった。だからといって、またちゃんとした形で見られてラッキー、とは思えない。
去年も見たものをまた見ている。不思議だった。まったく同じものをやるために2デイズにしたのか、と。
ライブの終わりは、そのキャラたちが「また明日」と言っていた。
私に明日はない。
例えば普通の音楽ライブで2デイズの場合でも、また明日と言われることはあるだろう。でも私は、どこかすっきりしない気持ちでその言葉を聞いた。
ホテルに戻り、悶々としていた。あとからあとから、不思議な悔しさがこみ上げてきた。ずっと楽しみにしていたのに、私が見たものは、明日に繋がるためだけの再演だった。去年も見たものをまた見ただけだ。
次の日を観ない人のことは、正直どうでもいいんだろうな、と思った。
次の日は、がらりと変えたステージだっと聞く。前日と、いや、去年と対になるステージを作り出したかったらしい。
意図は理解する。しかし、最初にそのアナウンスをするべきだったと、私は思う。1日目のみの参加では、去年とまったく同じものを見せられただけだ。意図が伝わらなかった。
去年と同じだから悪いというのではない。舞台、もしくは映画でもいい。同じものを何度も見る気持ちは分かる。ライブだってそうだ。ライブ映像をブルーレイなどで何度も見るだろう。それは、同じものだと理解したうえで見ているのだ。
ライブだって、それが同じものだと納得して見るなら大いにアリだと思う。

結局、翌年からは、そのライブイベントに行くことはなくなった。
そのジャンルからも、少し足が遠のいた。それまでほど、夢中になれなくなってしまった。
そして今でもあの日の2デイズ初日を引きずっている。2デイズと聞くと、真っ先にそれを思いだす。