生の鶏卵が書く日記

夢はおいしい卵かけご飯になることです

今朝のプリキュアに寄せて

まほプリOPの歌詞のが大好きで、またプリアラにおいてキュアパルフェが虹色であったことで「まさか……」と思う部分があり、まあその辺りはかなり上手く言語化されている方がいて、「これこれ、このこと!」と大いに同意したわけでありますが。

今日のプリアラは本当に最高だった。
これはかなりLGBTを意識して描かれたお話だったのではないかと感じた。
LGBTに関してプリキュアらしい切り口で、子供にも伝わるように描いている。
大友が百合だ百合だと騒ぐような回ではあるけれど、むしろこれは今この作品を見ている小さな子たちへ向けたメッセージが詰まっていたんじゃないかなあ。
百合とかそういうことよりも、性別を超えてふたりが惹かれ合っていく様をとても丁寧に描いていた。
まだふたりの間にある感情は恋愛感情ではないかもしれないけれど、そうなってもいいんだと思わせる、また、それがおかしいことではないという優しい空気があった。
これを見ている小さい子の中には、確実に将来マイノリティとなる子がいるはずで。
また、すでに違和感を感じている子もいるかもしれない。そんな子供たちを優しく包み込み、また、当事者ではない子たちに向けては、こういう関係も当たり前なのだと思わせる説得力があった。
個人的に良いなと思う部分は、アキラさんは服装は男性的であるけれど、母性の強い性格をしているので、そのまま女性としてゆかりさんを守りたい、好きだ(無自覚でも)という気持ちが溢れている部分。
女性が男性らしい服装をしていたっていいし、女性が女性を好きになったっていい。
そしてゆかりさんは、まだ恋をしたことがないという。
その気持ちが向かう先がアキラさんであるかもしれないことを示唆した。

この回のよいところは、お互いの気持ちを「友情」もしくは「恋愛」という言葉で片付けなかったことにある。
お互いにあるものは確かに「愛」だけれど、まだその愛の種類は分からない。
人は愛し方や痛みが、みんな違う。それはまほプリのOPですでに発信されていたメッセージだった。
こういうメッセージを必要としている人は、確かにいる。
たとえば自分だってそうだ。
CCさくらの世界観を何らおかしいことだと思わなかった。当たり前のことだと受け入れさせてくれた。
その後好きになったアーティストや作家もそうだった。LGBTであることをカミングアウトし、その感性を大事にした作品を届けてくれた。
自分が当事者だと気が付いたのは遅かった。それでも、そういう生き方も当たり前なのだと思えたのは、それまでに触れてきた作品によるものが大きい。
私は腐女子であるけれど、その前提にあるのは、LGBTの中には含まれないにしても、性的マイノリティとしての自分だ。
大好きなCPを萌えとして消費して、それで終わりにすることには抵抗がある。
たとえフィクションの世界のCPであっても、その関係を当たり前だと思ってくれる世界で生きていてほしいと願っている。
つまり、LGBTが異常だと思われるような世界は、現実であってもフィクションであっても存在して欲しくないのだ。

このプリアラを見た幼い子たちが、自分が当事者になった場合、または身近に当事者がいるとしった場合、さらに言うと当事者とは関わりのない方々でも、いろいろな性のあり方が当たり前であると受け入れる土壌の一つにこの作品があるのなら、そんな素敵なことはないと思う。