生の鶏卵が書く日記

夢はおいしい卵かけご飯になることです

 

この恋が終わるまで (プラチナ文庫)

この恋が終わるまで (プラチナ文庫)

 

再読。
子供っぽくて幼稚な考え方の受けと、同情の余地がないひどい男の攻め、そしてBLにとって都合の良すぎる、悪い意味でありがちな性格をした攻めの婚約者、すべてに共感ができないのだった……。本編後の、仕事とぼく、どっちが大事なの!? っていう短編もなあ。自分自身、仕事に決まってますやん、と言いたくなるタイプなので。
BLにとって都合が良すぎる女子供が出てくる小説は苦手だなー。大抵の女は、大抵攻めの彼女で、美人で気が強くて言いたいことをずばずば言って、攻めとしては付き合いが楽だから付き合っている。女のほうは周りの男の中で一番の優良物件が攻めだから付き合っている。引っかき回して、最終的には良き理解者に……的な。(子供の場合のBLにとって都合が良すぎるとは、可哀想な境遇で、あざといくらいけなげで可愛いことを言う、子育てものに出てくる子供です)
この話、昔読んだときは結構気に入ってたんだけどなー。

ところで、「ぼくが地震で死んでしまっても平気なんだな。くそったれ!」という台詞が出てくるのだが、これは現在なら使われない台詞じゃないかなと思ったりする。少なくとも、私はこの台詞を読んで引っかかってしまった。どうしても先の震災を思い出す。大事な人が亡くして平気なわけがないというのが、感覚としてわかる。冗談としても、現実では、こういうことは言いたくない、言ってはいけない言葉だと思う。読むのでさえ、悲しみがあった。震災前に出た小説なので深い意味はないとしても、どうしても思い出してしまう。(自分が悲しくなるということで、フィクションの世界を否定したり、言葉狩りをしたりという意図はありません)
しかしこの前にだって新潟、阪神等、あったはずだ。人の記憶は風化していくのだなと思う。身近でなければ特に風化は早い。悲しいことに。新聞には、今でも毎日、先の震災の被災地の話題が載っている。それは過去の話ではなく、現在の話だということだ。